• rotarywaseda1920

わかりあうということ ~2021・夏の終わりの、あの街で~



四ヵ月がたった。うだるような暑さの中、工事用ガードフェンスで作られたバリケードは新しい街の光景としてすっかり馴染んでしまったように見える。窮屈になった陸の孤島において歩みを止める者はもういない。そんなことをしていると信号が赤になってしまう。そこは非常にバランスが悪い不安定な場所なのだ。フェンスに一か所だけ存在する扉の部分には太い鎖が幾重にも巻かれ、ささやかな反抗の証として(あるいは学生がただ面白がっただけかもしれない)、南京錠が数十個ぶら下がっている。僕は愛の南京錠と名付けられたその光景を撮影しInstagramに投稿しようと考える。南京錠にピントを合わせつつ、フェンスの内側へとまるで囚人のようにディスタンスをとらされた女神像が認識可能な程度でぼやけるように撮るのは手持ちのスマートフォンでは至難の業だったので、僕は途中で理想を捨て習字体のような加工が施された愛の字が書かれた南京錠にピントを合わせることだけに集中する。



二〇二一年五月一八日、高田馬場駅前ロータリーが完全封鎖された。



僕にとって高田馬場という街はなんでもなかった。正確に言えば僕の語彙ですらなかった。高校時代の僕にあなたにとって高田馬場はどんなところですか、と問うても僕の頭には高田馬場にある声優の養成所に通っていた友人の「これからたかだのばばぁ行かないと」とにへらと笑った表情しか浮かばないだろう。僕が初めて高田馬場という駅を、街を意識して電車を降りたのは早稲田大学の受験のときだった。早稲田大学の最寄り駅は東京メトロ東西線早稲田駅ではあるのだが、当時の私はドラゴン桜か何かの影響を強く受けていて、緊張をほぐすため試験直前には焦って勉強するのではなく好きな音楽を聴いたり、歩くのがいいという主人公桜木建二先生の教えを忠実に実践しようとしていた。いわゆる馬場歩きの一本道はそんなことを考えていた当時の僕にぴったりだったのだ。桜木先生の教えに倣ってお気に入りのプレイリストを流しながら馬場を闊歩した結果、僕は早稲田大学全勝、数ある選択肢の中から看板である政治経済学部を蹴って第一志望である文化構想学部に入学! というのは嘘で、深い悲しみを抱えながら立教大学文学部文芸・思想専修に入学金と前期分の授業料を納めて数日たったある日、文構の補欠が回ってきたことでまさに滑り込みで早稲田に進学することができたのだった(前期分の授業料は後で帰ってきた)。おそらくこれからの人生で自らの意思によってドラゴン桜を読み返す、ということはないだろう。



それから一年半ほどが過ぎ、夏も終わりに近づいたある日、僕は高田馬場でごみを拾っていた。ロータリーが封鎖される前は毎朝ロータリーのごみを拾っていた。当時の僕は実家に住んでいたから朝の八時にロータリーに集合するためには五時半に起きる必要があった、それでも可能な限り毎朝参加するように努めた。受験生の僕が聞いたら間違いなくなぜ? と言うだろう。あるいは思い描いていた大学生活との乖離になぜという感情を通り過ぎて絶句するかもしれない。なぜだろう、僕もなんでゴミ拾いなんかしているのか今ひとつわからない。教えてほしい。よく一緒に活動する仲間は掃除をすることで、ボランティアをすることで、綺麗になった姿を見ることで自己肯定感が上がると言っている。その動機を否定する気はないし、極めて正しい感情であると理解できるのだが、僕にはいまひとつそれがよくわからない。むしろごみを拾う度に他者とのわかりあえなさに悲しくなる。わかりあうとはどういうことか、僕はわかりあえなさというしっかりと存在する具体をビニール手袋越しに拾い上げながら、とても抽象的なことに思考を巡らせる。此度のコビットナインティーンはそんなわかりあえなさを様々な面で表出させ、僕たちに突き付けてきた。感動を与えた、ということになった五七年ぶりの東京オリンピック。打つのは任意だ、と脅されたワクチン接種。他にも上げようと思えばきりがない。活動場所を強制的に追い出され、望まぬ形で綺麗になったロータリーを金網の外側から眺めるしかなくなってしまった僕たちもコビットナインティーンの影響を受けたということができるだろう。しかし活動場所が封鎖されたからと言って歩みを止めることはできない。大学当局からの規制の緩和を待って、ある意味では苦肉の策として高田馬場(早稲田通り)のごみ拾いをすることとなった。その日は駅からAOKI西早稲田店までの三〇〇メートルほどで缶二二本、瓶一〇本、ペットボトル一九本、吸い殻三六九本を拾った。この数字が多いのか少ないのかは普段ロータリー内のごみだけを拾っている僕にはわからない(ロータリーの場合と比較するならば圧倒的に少ない)。この数字を見てすぐさま多いと判断できない僕は東京という都市にすっかり適応していて、感覚に多少のバグが発生しているのではないかとも考えるのだけれど、それは同時に捨てる側である彼らに発生しているバグと共通している部分があるのではないか、と少しだけわかりあえたような生暖かい気持ちに僕をさせたりもする。



それにしてもゴミ拾いは意外と面白くて、難しくて、そして当たり前に寂しい営みであ

る。



ゴミには人の生活がそのまま映し出される。コンビニエンスストアの前に放置された空き缶やたばこの吸い殻はロータリーという居場所を追い出された彼らの行き場のなさをそのまま表しているし、それとは反対に戸塚第二小の壁画の前にはほとんどごみがなく、彼らの心にしっかりと根付いている道徳心のようなものを垣間見ることができる。壊れたマイメロディの手持ち扇風機は流行とその裏側にある儚さを映し出し、夏の終わりを感じさせる光景だ。ごみを拾うことは他者の生活を拾い上げることだと強く思う。だからこそ僕はコビットナインティーンをはじめとする衛生面での懸念がなければ本当は素手でごみを拾いたいと思っている。僕は後で手が洗えれば基本的にはなんでもできるタイプの人間なのだ、生き物系は例外であるが……。他者の生活に直接触れたい、関係したい、やっぱり僕の心の根底にあるのはこの想いだ。最近読んでいる本の中に今の僕とすごく共鳴する言葉があった。哲学研究者の永井玲衣さんが書いたエッセイ「水中の哲学者たち」の中の一節である。



他者とわかりあうことはできません、他者に何かを伝えきることはできません、という感覚は、広く共有されているように思う。わかりあうことができないからこそ面白い、とか、他者は異質だからこそ創造的なものが生まれる、という言説もあふれている。その通りだ。その通り。全くもって、完璧に、同意する。だがわたしはあえて言いたい。

それでもなお、わたしはなお、あなたとは完全にわかりあえないということに絶望する。



その日、僕はぐしゃぐしゃになって捨てられていた35,360と記載された給料明細を拾い上げながら、落とし主と同じように絶望していたのかもしれない。





ごみ拾いをしているとよく声をかけられる。よく、と便宜的に言ってはいるものの一回の清掃で一人にかけられるか、かけられないかという程度であって、仲間と一緒に「東京の人はやっぱり冷たいな~」とお上りさんになったような気分で笑いあっている。かけられる声の多くは「ありがとう」だったり、「ご苦労様」だったりするのだが、時々「えらいわね(年齢の高い女性から声をかけられることが多いのでこのような口調で僕は記憶している)」と声をかけられる。そして僕は「えらいわね」と声をかけられる度にどこか少し悲しい気持ちになる。声をかけてくれた人と僕との間に「えらいわね」という壁がそびえたような感覚に陥るのだ。もちろん声をかけてくれた人にそのような意図がないことはわかっている。彼女にとってその言葉は「ありがとう」と同じメッセージを含むものだったかもしれないし、何の前触れもなく出会った僕に想いを伝えるために必死に考えた結果として零れた言葉であったかもしれない。それでも「えらい」という言葉は彼女と僕、あるいは地域としてのごみ問題の間にある距離感を表しているように思えるし、僕と他者の中に善と悪の構図を作り出しているように感じる。声をかけてくれた彼女のことは知らないし、適当なことを言うことはできないけれどもしも彼女が例えばロータリーに集まる若者に対して恨めしさだけを感じているのだとしたらそれは本当に悲しいことだ。果たして僕は「えらい」のだろうか? 僕がやっていることはただ善であるだけで、ごみを捨てる他者は問答無用で悪者なのだろうか、そのような認識でこの問題は解決するだろうか。善や悪についてはわからない。定義があいまいであるし、カントやニーチェをはじめとする善悪についての哲学的な思考はあまりにも抽象的すぎる(僕自身ボランティアという言葉は避けたいのだけれど、カントによるとごみ拾い(ボランティア活動)は善ではないようだ……?)。けれど僕らを善と悪に分けているうちはこの問題は本当の意味で解決しない、それだけはなんとなくわかる。他者が僕たちを過度に尊敬し、ぼーっと眺めていては、あるいはゴミ拾いという営みに対して意識高い系による面接で話す用のガクチカ(学生時代に力を入れたこと)づくりだと嫌悪していては問題は絶対に解決しない。それは拾う側の僕らも同じである。ごみ拾いを志願するというのは素敵なことだけれど、それは誰かに自慢することではないし、他人と比べて驕り高ぶることでもない。ごみが落ちていて拾う活動をしようと思った、ただそれだけのことなのだ。僕は機会があれば後輩(自分が先輩であるという意識はほとんどないのだけれど)にそのことを伝えるようにしている。自らで考えてほしいというのもあるし、ただでさえ口下手であるのでどこまで伝わっているのかわからないけれど。(多浪を除いて)お酒もタバコも吸わない(はず)の一年生にお酒を飲む人の気持ちを理解するのは難しいだろう。当たり前のことである。それでも他者のことをわかろうとしてほしい。わからないことをわかろうと歩み寄ってほしい。僕たちが他者をわかろうと歩み寄り、他者が僕たちをわかろうと歩み寄る、問題解決のために必要なのは善悪による分類や両者の対立ではなく、そうした人間的な営みだと僕は思う。



先日、アイフォンの修理をするために新宿のアップルストアへ行った。僕の対応をしてくれたお姉さんはアイフォンの症状を確認した後でおそらくマニュアルにあるのだろう事務的な確認を僕にした。「本体を開けるのでデータがなくなる可能性があります、ディスプレイを外すので保護フィルムが剝がれる可能性があります、可能性があります、可能性があります」。正直僕は長々と続く同じような話に少しいらだっていた。適当な返事をしながらこちらもお姉さんと同じように機械的に首を振る。しかし彼女は少し弱った声で最後にこう付け加えた。



「不確定要素ばかりですみません、わたしも明日の自分の生活すらわからないので……」



僕はすべてを許そうと思えた。それはマニュアルにあるような形式的なものではなく、生きた血の通った言葉だった。突然のことに思わず笑みがこぼれてしまい、僕は彼女に「僕も同じです」と返してわからなさを共有する。そうなのだ、僕たちは自分のことはよくわからない、この文章を書いていても本当にそれを実感する。それでも他者となら、あなたとならわかりあえる気がする、わかりあおうとすることができる。先が見えない現実の中、東京という街の真ん中で僕らにはまだできることがある、と感じる夏の終わりの出来事だった。





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