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未来に誇れる、高田馬場のシンボルを創る

ー高田馬場という街ー
世界有数の乗降客数を誇る高田馬場駅。
その周辺には、個性豊かで数多くの飲食店や商店が立ち並び、賑わいを見せています。
特に、近隣に大学や専門学校が点在することから、この街は「学生の街」とも呼ばれ、多くの若者たちに親しまれています。

高田馬場は、私たち早大生にとっても、思い入れのある街ー。
駅から大学にかけての通学路「馬場歩き」や、手ごろな価格で美味しい飲食店の数々。
多くの人と出会い、かけがえのない思い出をつくる場所として、この街は特別な意味を持っています。
ー駅前ロータリーと広場ー
そんな街の「顔」ともいうべき存在が、「ロータリー広場」です。
交流の場、憩いの場としての「広場」という存在。
この場所を訪れる人々は、多種多様です。
ほとんど毎日来るという地域の方ー
出勤・退勤前後に訪れる社会人ー
集会の場として利用する外国人ー
パフォーマンス・路上ライブをする者ー
そして、夜になればどこからともなく群がる若者たち…etc。

ロータリー広場は、地域に関わる数多くの人たちから愛されてきました。
ーこの街が抱える問題ー
しかし、この街には、長年抱えてきた、ある問題があります。

とある日の翌朝のロータリー広場。

割れた瓶の破片が椅子下に散乱、危険な状態に。

広場に捨てられていた1000本に至るタバコの吸い殻。
街の「象徴」ともいうべき駅前広場が、これほどのゴミで溢れかえっていること。
その光景が、「日常」になってしまっていること。
それによって、街全体に「汚い」というイメージが定着してしまうことー
それは、公共の場であるにもかかわらず「ロータリーでは、ゴミを捨ててもいい」
「みんな捨てているから」という“なんとなく”の空気や同調圧力が広まってしまっているからこそ、起きてしまっていることではないでしょうか。
ひとりひとりの“なんとなく”の認識が、ロータリーだけでなく、高田馬場の街をネガティブにしてしまう。
ロータリーの汚さに目が向けられ、この場所や街の文化や価値に、目が向けられなくなってしまう。
この街に根付き、この街を愛する私たちにとって、これほど悲しいことはありません。
ーこの街に関わる者としてー

ロータリーから、散乱ゴミをなくしたい。
そして、この街のイメージを刷新し、「きれいなロータリー」を街のシンボルとして、未来へと受け継ぎたい。
高田馬場を、そして、交流の場・憩いの場としてのロータリーを、誰よりも愛するからこそ、私たちはこの散乱ゴミの存在をひとつの「問題」として提起し、行動します。
あしたのロータリーを、今日のロータリーよりもよくしていくために。

