
ロータリーの会には、さまざまなひとたちが集まっています。
そして、一人ひとりが高田馬場やロータリーに対する想いを持ち、活動をしています。
はたして、その「想い」とは何なのか。
そして、活動のなかで何を考え、何を感じているのか。
このコラムでは、ロータリーの会メンバー一人ひとりの心中に迫ります…!!
週に1回程度で更新していくので、お楽しみに(^^)
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第1回は、企画提案者である私、教育3年の安曇川が担当します。
私がロータリーの会に入ったのは、去年の11月ごろでした。
当時は夢中になっていたことへの興味が尽き、オンライン授業と課題をこなしながら漫然と過ごしていました。そして、そんな日々に次第に虚無感を感じるようになり、漠然と何らかのかたちで社会貢献活動に携わってみたいなと考えるようになりました。
そんなとき、ふと目にしたのが、「ロータリー磨き」のツイートでした。
ロータリーを高圧洗浄機とブラシを使ってピカピカにするというイベントで、「誰でも参加が可能」とのこと。秋学期になり大学へ行く機会が増えてから、ロータリーの惨状を目の当たりにすることがあったので、ロータリーを実際にきれいにできたらすごいなと思い、参加しました。
そして当日。バケツで水をまき、ブラシで磨いてみると、タイルにこびりついた汚れがどんどんと落ちていく。これまでただ「汚い場所」として思っていなかったロータリーも、掃除をすればここまできれいになるのか、ということに驚きを感じました。

また、同じ大学の人や地域の人と交流しながら掃除をするのが楽しく、その雰囲気が気に入りました。それが理由で、ロータリーの会に入会し、活動に参加するようになりました。
ロータリーの会の活動を通して感じるようになったのは、高田馬場という街の「価値」です。それまではたんに、大学への行き帰りで通る場所、飲んだり食べたりする場所としか思っていませんでした。ですが、地域に携わる様々な人々がいて、多種多様な人たちが集まってこの街が成り立っているということに気づきました。

東京の山手エリアには、新宿や渋谷といった大きな街、有名な街がいくつもありますが、そのなかで高田馬場が際立っているのは、簡単にカテゴライズできないところだと思います。
街の特徴を言い表す言葉には、「ファッションの街」「オタクの街」といった文化的なものや、「繁華街」「住宅街」「オフィス街」といった用途区分的なものまで、さまざまあります。ですが、そうした言葉で言い表しきれないのが、高田馬場だと思っています。
誰かにとってのはたらく場であり、誰かにとっての生活する場でもある。遊びの場であり、学びの場でもある。そうした様々な側面があって、この街は成り立っているのではないか、そう思うのです。
教育3年 安曇川
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